10.ラスト
曲はCareless WhisperからChicagoの「素直になれなくて」に変わった。気がつくとボトルは空になっていた。ボトル一本のワインは遠い昔の記憶に変わり、麻里と過ごした風景は、もう蜃気楼ではなくなった。
思い出したよ麻里・・・・・・
大学三年の時に私と二人で海辺に行って描いた水平線に沈む夕日の絵だろ。薄っぺらで人がいない殺風景な絵だったよね。私と麻里の空しさを描いたんだ。
私はタクシーを頼み、母が住んでいた家に向かった。ドアを開けると、いつもの懐かしいカビ臭い匂いした。蛍光灯の明かりをつけて、母が寝ていたあたりの畳の上に仰向けになる。天板の一部が剥げ、雨漏りの染みのある天井が見える。麻里の顔と母の顔が重なる。哀しみ、淋しさ、空しさ、後悔、言葉に出来ない感情が、押し寄せる津波にように私を襲ってくる。
麻里、駅前の定食屋が好きだったね。詩集を教えてくれたね。そう、さっき読んでいた中原中也だって、麻里が好きだった詩人だ。麻里の丸い字で書いたノートがなかったら医者になれなかったよ。必ず会いに行くから、生きているんだ麻里、生きているんだ・・・・・・。
あの頃、母と離れた淋しさや空しさを埋めてくれたのは麻里だ。麻里が別れた本当の理由を知らなかった。麻里が一人で生きていたこと、小児科医になる約束を守ったこと、私のことをずっと心に置いていたこと・・・・・・、何も知らなかった。
「もしかしたら・・・・・・」
私は倉庫にしている自室に積み上げられた段ボールを思い出した。ふらつく足で廊下を歩き自分の部屋に入った。いくつもある段ボールの中から、大学時代の品々を詰めた段ボール箱を夢中で探した。それは二十個程ある段ボール中の一番下の一番奥にあった。蓋を開けて、学生時代の古い内科の教科書、古い画材道具を取り出していく。一番下に、五号の小さな絵があった。二人で一緒に描いた海の絵だ。でも私の記憶は間違っていた。砂浜には水着の女の子と、日焼けした男の子が二人で砂遊びをしている絵だった。
「子どもは男と女、一人づつだよね」と二人で笑いながら、私が女の子を描き、麻里が男の子を描いた。青い海を背景にして、二人の子どもは本当に楽しそうに砂遊びをしている。
そう、あの頃は空しい時代だったんじゃない・・・・・・私と麻里は暖かい時間を過ごしていたんだ。
そんな大切なことをずっと忘れていた。
私は、母のいない家で五号の絵を抱きしめ、そして泣いた。
了
(注:以下の絵画は、もう閉鎖されてしまっているママの絵日記ブログから転載させていただいております。連絡先がわからないのと、ご連絡ができなかったのですが、素敵な絵でしたので使わせております。URLも記載いたしました)