麻里


藤村 邦

1.オイスターバー

2018年01月31日

勤務先から逃げ出すような気分で帰路についた私は、駅に向かう裏通りを足早に歩いていた。かつて、この通りには居酒屋やバーが立ち並び、店の明かりで華やかだったが、今ではシャッターを降ろした店ばかりになり通りは殺風景で薄暗かった。

2.ワインと牡蠣

2018年01月30日

白いシャツを来た若い女店員が私の前にやってきて「いらっしゃいませ」と言った。細い指で丸いコースターをカウンターの上を滑らすように置き、食事メニューとワインリストを差し出しす。ワインはどれも三千円くらいで手頃だった。とにかく酔いたかった私は、ワインリストの一番安いワインを指さして「このワインのボトルを一本、それと本日の生牡蠣四ピースのセットを下さい」と言った。

3. 会議

2018年01月29日

一人で生活する母の体が弱ってきたこともあった。先代の病院長の「高村の好きなようにやってよい」という誘いもあった。しかし、妻子と離れて母の傍で暮らしたいという思いが、故郷で診療することを決意させた。

4. 電話

2018年01月26日

「何か追加しますか」と女店員が聞いてきたので、私は詩集に目を留めたまま、「野菜スティック」と言った。

5.メール

2018年01月10日

涼子、昨日から、また痛みが出てきているの。あのことを思いたくないけれど、もう無理ね。悪魔がやってくるみたいに頭に浮かんでくる。怖い、とても怖い。でも、やめる。もっと体が痛くなりそうだし。緩和チームの精神科の先生はわりと話を聴いてくれるけど、どこか自分に合わないの。言っておきたい事があったら言って欲しいと言われたけど、そんなこと言われたら、逆に何も話せないよね。もう両親も亡くなったし、兄弟もいないし。気になるのは、私の患者達だけど。全員、子どもだしね。先生が何かしたいことありますかと言ってくれたので、パソコンでメールを書きたいと言ったら、あっさり許可してくれた。

6. 80年代

2018年01月05日

80年代、学生時代につきあっていた麻里との思い出は、時折、蜃気楼のように現れることがあった。病院研修にやってきた小柄な女子学生を見た時とか、学会で金沢に行った時とか、麻里のことは意識には上がってくる。しかし、そこには生命の鼓動も温もりもない。あの頃の風景は靄のかかった海上に浮かんだ現実味のない景色になってしまった。麻里と別れた後の三十年の体験が、麻里との時代を水平線の遥か彼方に運んでしまった。

7.思い出

2018年01月04日

そっかあ、やっぱり結婚してたんだ。そりゃそうだよね。じゃあ、メール出せないね。でも、地元に戻って病院に勤めているのを聞いて少し安心した。私が小児科で彼が精神科という約束だけは実現したね。私ね、小児科だったけど、結構、お母さんや、時々、お父さんの会社の悩みも聞いてあげてたの。少し、精神科の勉強もしたしね。高村君の影響なんだと思ってる。父が亡くなって家族が誰もいなくなって、名前をファミリー・クリニックにしたの。クリニックの患者さん、みんな私の家族と思って仕事してたんだ。

 8.別れ

2018年01月03日

少し熱が出て、返事を出せなかったの。心配かけてごめん。本当は、高村君が結婚したことを聞いてショックだったの(笑)。

9.手紙

2018年01月02日

年生の秋だった。高村君の部屋に、お母さんの手紙が置いてあった。高村君はパチンコに行ってたし、彼、殆どお母さんの話をしなかったし、もしかしたら近い将来、会うかと思っていたので、どんな人か知りたくて読んでしまった。

10.ラスト

2018年01月01日

曲はCareless WhisperからChicagoの「素直になれなくて」に変わった。気がつくとボトルは空になっていた。ボトル一本のワインは遠い昔の記憶に変わり、麻里と過ごした風景は、もう蜃気楼ではなくなった。

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