2.ワインと牡蠣

2018年01月30日

    白いシャツを来た若い女店員が私の前にやってきて「いらっしゃいませ」と言った。細い指で丸いコースターをカウンターの上を滑らすように置き、食事メニューとワインリストを差し出しす。ワインはどれも三千円くらいで手頃だった。とにかく酔いたかった私は、ワインリストの一番安いワインを指さして「このワインのボトルを一本、それと本日の生牡蠣四ピースのセットを下さい」と言った。

 女店員は「え、お一人で一本ですか」と目の玉が飛び出るくらい目を開けて答える。口がアヒルの口みたいだ。殆ど、酒飲みの相手をしたことがないのであろう。 

「残ったボトルは持って帰るから大丈夫だよ」と言ってあげる。

 すぐに女店員はワイングラスとワインボトルを持ってきた。コースターを横にずらしワイングラスを目の前に置いて、ワインオープナーを回し始めた時、注文したのは赤ワインだったことに気づいた。もう一度ワインリストを見ると、五千円で白のシャブリが飲めると知り後悔する。

 酒なら何でもいいと思いなおし、ワインをグラスにドボドボと注ぐ。多めに入ったワインを一気に飲む。胃のあたりが熱くなる。職場から持ってきた怒りのせいなのか、一気に飲み過ぎたたせいなのか、味や香りが私には解らない。

 海なし県の生牡蠣は案外旨かった。

 すぐに二つ目の牡蠣を食べる。潮の香りが口の中一杯に広がる。

 体から汗が引き、熱を帯びていた怒りは、やっと収まってきた。改めて店内に目を配ると、装飾が洒落ていることに気づき始めた。カウンター前の酒棚にはあらゆる種類のブランデーやウィスキー瓶がラベルを前にして上手に置かれている。後ろを振り向きテーブル席側を見ると、アメリカン・ゴシックの絵が二つ掛かっている。天井から吊された二つのスピーカーから流れてくるのはスムースジャズで、時々挿入される英語のコマーシャルで、ネット配信のストリーミングチャンネルと解った。

 夭折の詩人の詩集を鞄から出して、私は適当な頁を開く。「少年時」という詩を読み始める。

 ボトルを持ち上げ、空のワイングラスに二杯目を注ぐ。マスターが作ったというカクテルソースをかけて二つ目の牡蠣を食べる。 

 酔いが回ってくると、一時間前にやっていた理事長との口論が頭に浮かんできた。こうなると詩に集中することが出来ない。激しい怒りが心にあって、忘れたくても頭に浮かんでくる。旨い牡蠣もワインも、怒りをおびた記憶には勝つことができない。私は文庫の詩集を伏せてカウンターの上に置いた。

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