3. 会議

2018年01月29日

 

 故郷の総合病院に単身赴任したのは5年前である。

 一人で生活する母の体が弱ってきたこともあった。先代の病院長の「高村の好きなようにやってよい」という誘いもあった。しかし、妻子と離れて母の傍で暮らしたいという思いが、故郷で診療することを決意させた。

 大学病院の精神科外来では、3時間で50人の患者を診療するという処方だけの外来が当たり前になっている。そんな時代、まともに精神療法をやらせてくれる病院は、北関東でも珍しかった。精神科は採算に合わないため、外来を閉鎖する総合病院は増えていた。時間をかける診療をやれば赤字になる。精神科医は、薬だけを出す医者になってしまう。私の勤務先も経営状態は悪化しており、非採算部門の精神科への風当たりは強くなっていた。

 先代の病院長が引退し、母親が亡くなった今、故郷への未練は薄れていた。横浜の自宅にいる医学部に入った息子と大学受験を控えた娘のことも気になる。妻からは、帰宅するたびに横浜で開業して収入を増して欲しいと言われていた。

 元脳外科医の理事長が脂っこい顔に薄笑いを浮かべて「精神科なんか薬だけ出してりゃいいじゃないか」と言った時、私の心と故郷を繋ぐ糸がまた細くなった。理事長の言葉に激しい怒りを感じ、私の体は熱くなった。「それなら、そういう医者を捜して下さい」と言って、私は理事長室を後にしたのだ。

 そろそろ、故郷への恩返しも終わりだと思いつつ、グラスに残ったワインを飲む。

 再び詩集を開く。「骨」「秋日狂乱」と読み進む。この詩人は、何故これ程の空しさと罪の意識に苛まれていたのだろうかと思う。その空しさと罪の意識が私を惹きつけていることも知っている。それは、母の反対を押し切って結婚し、母がになるまでほったらかしにしておいた罪悪感と、ずっと以前から抱えている心の穴が詩人の感性と共振するからだ。

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