9.手紙

2018年01月02日

件名:高村君 その四

日時:○○年8月16日

 6年生の秋だった。高村君の部屋に、お母さんの手紙が置いてあった。高村君はパチンコに行ってたし、彼、殆どお母さんの話をしなかったし、もしかしたら近い将来、会うかと思っていたので、どんな人か知りたくて読んでしまった。

 便箋一枚に「いつ帰ってくるんかね。卒業したら戻ってくるんかね」と鉛筆で書いてあって、その字がとても弱々しかった。それを読んでいるうちに、とても悪いことをしているような気持ちになった。私、研修医が終わったら高村君を金沢に連れて帰ろうとか勝手に思ってたしね。

 これから会うかもしれないし。高村君に秘密でお母さんに手紙を書いたの。「一年生の時からつきあっていました、ごめんなさい......」みたいな内容だった思う。しばらくしたら、お母さんから私に返事がきたのよ。お母さんの返事を私は今でも持っている。これだけは捨てるわけにはいかない。私には母がいなかったし。いつか自分が母親になって息子ができたら、こんな母親でいたいと思った。でも結局、結婚できなかったけどね。手紙を高村君に返せないから、メールに書いておく。私のことを、お母さんはまんざら悪く思っていなかったの(笑)。

「石川麻里さんへ

 正直、最初は驚きました。見たことも会ったこともないあなたに怒りも感じました。二週間ずっとぼんやりと過ごしていました。息子に連絡することも考えましたが、辞めました。息子があなたを連れてくることを待っています。あなたがこうして手紙を書いてくれたことで、あなたが、とても優しい人だと知りました。あの子は小さい頃から、淋しがり屋です。きっと、あなたが大学生活を支えてくれているのでしょう。近い将来会えると思っています。何もないところですが、こちらに来た時には、おきりこみという郷土料理を教えてあげます。高村邦子」

 の手紙を読む度に、私は辛くなった。結局、父には高村君のことを伝えることができなかった。私も高村君も一人っ子で片親だし、どちらかの親が不孝になる。

 私は、高村君と別れるなら卒業の時しかないと思った。

 高村くんのお母さんを謝恩会の時に始めて見たわ。地味な感じで優しそうだった。足が悪いと聞いていたから、すぐにわかった。わざと近くにいたのよ。そしたら声をかけてくれた。もちろん自分のことは黙ってた。岩野教授に会いたいというので、お母さんを連れていった。岩野教授と話すお母さん、その向こうに見える高村君を見て、「ありがとう、さようなら」と小さな声で言った。

 そして彼は翌日からスキーに行き、私はこっそり故郷に戻る準備を始めた。ずっと泣きながら部屋を片づけた。そして、大学のある町には二度と戻るまいと心に誓い、父と故郷に帰った。淋しいよ、涼ちゃん。高村君と、きちんとお別れしておくべきだった。今、とても彼に会いたい。最後にまた、あの頃みたいに二人で一緒に砂浜で絵を描きたい。


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